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母の愛

母の愛
無事 手術が終わりました〓当日 朝早く病室に現れたのは あみちゃんです。一人で 不安だった私は 本当に 涙が出そうでした。ありがとう…一生忘れないよ。
手術の時の話は また ゆっくり書きます〓
麻酔がきれて 今まで経験した事のない痛みに苦しむ私を 抱きしめて 背中をさすってくれた母…生まれてよかったなと思いました。写真の花は 母が私のイメージで選んでくれたそうです。ありがとう〓〓

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病気になって・・・

この病気になって 感じたこと・・・
 「ガンで死んでしまう映画やドラマが多すぎっsign03」である。
感動するためには 必要かもしれないけれど
それでは 恐怖で ネガティブになってしまうじゃないcrying
大丈夫sign01大丈夫だよぉぉsign03
私が 証明してみせるからねっpunch

正直 恐怖に思うこともあるけれど 考えないのが一番。
普段 ガンであることを忘れることもあるくらい(笑)
あみちゃんとの会話でも ネタになってしまうくらいだ。
 「いくら痩せられないからって・・・・」
 「そうそう 究極のダイエットをしたよbleah
 「もう ガンになるしかないなぁぁって?(笑)」
 「そういう事(笑)」
私は 変わり者だから(笑) こういう会話が助かるのだっsign01

大学で必要な手続きがあり 入院前に行こうと言っているのに
いつの間にか イビキが聞こえる・・・
チョコの横で 長男が寝ているが たたき起こして 出かけようbomb
 

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告白しよう  パート4

今回 初登場した子供たち。
全員 剣道をしている。
春から大学生になる長男に関しては 「していた」が正しい。
12年間の剣道生活をやめて 大学ではダンスをしたいらしい。
中学時代 すばらしい先生と出会い 北信越大会にも出場できた。
高校は 剣道で推薦も受けたが ずっと続けるつもりもなかったようで
同じ剣道部の仲良しくんと レベルは高くないが 一応進学校といわれる高校に
進んで 1人しかいない剣道部に入部した(笑)
競争もする事なく一年生からレギュラーで すべての大会に出場できたwink
指導してくれる先生もいないので 近くのスーパーハイスクールの剣道部と一緒に
稽古するため 防具を持って 自転車で毎日通っていた。
スーパーハイスクールの先輩たちが いい人ばかりで 高校が違っても
可愛がってくれて 大会でも 応援してくれていた。
そこの先輩たちも 息子と仲良しくんの事は 中学から知っていて
  「なんで あの高校にしたの?」と言われていたようだ(笑)
大会に出ると 強豪チームに行った他の中学の子や 先輩たちに
  「お前ら なんで その高校なん?」と声をかけられていた(笑)
2年生の冬 大会の前日に ノロウィルスにやられてしまい
熱と吐き下しで フラフラになっていた。
団体戦は 5人で戦うが 3人いれば大会に出場できる。
ギリギリ3人のチームの大将だった息子は 点滴を打って大会に出た。
一本取った息子に 異常に盛り上がる応援・・・試合は 負けだったが
満足できたようで・・・翌日の個人戦は棄権して ノロと戦った(笑)
中学時代の恩師で 大会に審判として来ていた先生に
 「お前らみたいに 純粋で 真面目な奴らだから 最後まで
  部活をやり遂げられた。他の奴らだったら とっくに辞めてるはず。」
と言ってもらい 何よりも嬉しかったようだ。
大学生活をエンジョイするのもいいけど 勉強は しっかりやってくださいよhappy02

その先生は 大学時代 柔道の山下選手と机を並べ
 「オリンピックに剣道があったら 絶対に あいつが選手として出場してるはずsign01
と山下選手が言うほど すごい選手だった方。
技ばかりでなく 「心」についても教えてくださり 子供たちも 尊敬している。
ピアノを習っていた 真ん中の娘が 小学3年生の時
空手を習いたいと言い出した。同じ頃 小学1年生だった下の娘は
お兄ちゃんと一緒に剣道がしたいと言い出していた。
剣道 ピアノ 空手・・・・・何箇所も 送り迎えが出来ないからと 真ん中の娘に
 「剣道なら いいよ」と答えた。
剣道は嫌だと言っていた真ん中の娘だったが 下の娘と一緒に すり足の稽古を
経験してみて 「習ってみようかな・・・」と言い出した。
習って10ヶ月ほどして 初めて試合に出場したが 泣き出して 立ち尽くし
試合にならなかったbearing
それから 4ヶ月後・・・市の大会で3位に入賞coldsweats01
生まれ持っての負けず嫌いに火がついたのだ(笑)
6年生の最後の大会では ついに優勝。団体では 男の子を差し置いて 大将になってたいた。
中学に入り 女子剣道部がなかったため 続けるかどうか 悩んだが
仲良しの子が1人 初心者で入部してくれることになり 続ける事にした。
息子と同じく 先生に指導してもらううち 剣道がすきになった娘は
県でもトップを争えるようになり  最後の大会では 全国にいけるだろうと
言われていた。
ちょうど その頃 私の病気がわかり 私のためにも頑張るんだと言っていたが
3位で 終わり 全国へは行けなかったのだ・・・
しかし 北信越大会では 5位入賞sign01あの状況の中 よく頑張ったなと涙が出た・・・
外泊許可をもらって試合を観に行っていた私を見つけ 病気がわかってから
初めて娘は 泣いた・・・・・先生は 握手をしてくれ
  「次は お母さんが頑張る番やねsign01
中学3年生になった娘は 松井の卒業した高校から 特待生の推薦を受けて
ライバルで親友の県でトップの子と 同じ高校で全国を目指すことになったschool
入院するたびに 私に手紙を書いてくれて 元気つけてくれて
ほんとに ありがとう・・・家の手伝いも すべてやってくれるし 明るく 元気いっぱいで
みんなを笑わせてくれる すばらしい娘です あなたは・・・・crying

そして 一番下の娘・・・。
生まれた時から ずっと「反抗期」で まともに言うことを聞いてもらった記憶が
ないんだけど・・・(笑)
中学生になったのに なぜか まだ幼稚園生みたいで・・・(笑)
自分から習うと言った ピアノも「行きたくない」と言ってみたり
絶対にやめるって言わないと言った 剣道なのに 「稽古に行きたくないsign01」と言い
稽古の前は お腹が痛くなったり 足が痛くなったり・・・
それでも 私にひきずられるように道場に連れて行かれ(笑)
道場の前に着くと 「泣いてたのが バレない??」と気にして 何事もなかったように
稽古に向かっていた。
初めての試合は 真ん中の娘と同じく 泣き出して試合にならなかったが
次の試合からは 入賞し始めて 5年生では 準優勝 6年生では 県大会で
3位に入り 郡・市の大会では 優勝できるようになった。
中学に入り 真ん中の娘の妹という注目とプレッシャーと戦いながら
県選抜大会に出場することになり それに向けて稽古中だ。
暇さえあれば 眠り姫のように寝ているが・・・
成長ホルモンが出るときは 眠くなるようだから 我慢しよう・・・(笑)
しかし・・・おねえちゃんの手伝いもしないと いけませんよbearing



 

 


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告白しよう  パート3

さてさて・・・
大学病院に移った私は 看護士さんが驚くほどポジティブで(笑)
毎日のようにお見舞いに来てくれる あみちゃんのおかげもあって
笑って過ごしていたwink
笑いは 免疫力をあげて ナチュラルキラー細胞を活発にするのだっsign01
咳がとまらず 肺に水が溜まっていた私は 初めは 呼吸器科で肺の治療を
受けていたが 大学病院の乳腺科で初めて診察を受けた・・・
 「まず 抗がん剤で しつこいガンをたたいてから 手術をしましょうconfident
・・・・・・えっ????・・・・・・
今 手術って言った????
先生が 光って見えた(笑)

ますます ポジティブになっていく 私・・・(笑)
調子にのらないように 厳しい目で チェックしてくれている人が2人・・・
あみちゃんと ごまちゃんだ(笑)
病気について ものすごく調べてくれて 治療法や食べ物について
メールをくれたり 電話してくれたり・・・
ごまちゃんは どんな料理がいいか どんな野菜がいいか本を買って
送ってくれて・・・・病気の当事者が 教わっているのだから・・・
だけど 今思うと これが 逆に良かったのかもしれない。

妹も 愛らしい姪を連れて 忙しい中 お見舞いに来てくれた。
職場で こっそり ガンには どんな食べ物がいいか調べていたようで・・・
小さい頃 私とあみちゃんに騙されてばかりで その天然さをもったまま
成長したけれど(笑) いいお母さんになったよねshine
天然と天然の間に生まれた 姪は どうなるだろう・・・・(笑)
もうすぐ3歳になるのに  オムツがとれないからなぁぁぁ・・・・・・(笑)

一番最初の抗がん剤。
吐き気が ひどく かなり吐いていたけれど
吐き気止めの点滴がきいて すぐに楽になった。
2回目も 何度か吐いたが すぐに治まったし 退院してもいいと言われた。
4回の投与が終わって 次の抗がん剤を投与する時には
入院することなく 通院でよくなったのだ。
腰近くまであった髪の毛。
どうせ抜けてしまうと思い 抗がん剤投与する前にカットしようと思い
看護士さん聞くと いきつけの美容師さんが来てくれるなら
病院でカットしてもいいよぉと言ってくれたので
「AMG」のBOSSハニーに相談。
すると 病院まで来てくれて カットしてもらったのだhairsalon
15年ぶりのショートカット。
全部抜けると聞いていたので あみちゃんと
 「いつ 瀬戸内寂聴になるんだろう?」
 「早く 悟りを開かないと・・・・」などと言っていたのだが・・・
ツルピカハゲ丸くんになることなく なんと 生えてきたのだsign03
病院の先生には 「おそろしい毛根力だな(笑)」と言われた(笑)
子供たちには 「かわいいじゃんhappy01」と言われている。

 
 

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告白しよう  パート2

最初に 病気の診断を受けた病院では 
もう 手術はしませんという態度だった・・・・・一緒に話を聞いていたモンキ(主人・・・初登場)の顔が 青ざめていくのが はっきりわかったshock きっと 私も同じだったはず・・・
その時 私もモンキも その病院が 「絶対行かない方がいい病院」と言われている
病院だとは 知らなかったのである・・・

父も 母も 妹も 必死で泣かないようにしているのが わかって
「なんて 家族不幸なんだ 私は・・・」と 検診を受けなかった事を後悔した。
またまた 初登場だが 19歳になる長男と 真ん中の娘 14歳になる一番下の娘は
笑顔で現れた。モンキから 全部説明を受けていたが
 「お母さんなら 治せるよsign01絶対にsign03
帰るエレベーターまで 泣くことなく 笑っていた子供たち・・・
 「子供不幸な母親で ごめんね・・・」涙が 止まらなかった・・・
だけど・・・泣いてなんかいられなぁいっsign03
本当に そんな感じで ピタっと涙が止まったのだ。
みんなが 望んでいるは 治ること。
病気は しっかりと受け止めて 前だけむいて行こうと思った。
いいことしか 耳に入れないでおこうと・・・・

父が 静かに 水面下で動いていた。
大学病院への転院・・・
父の人脈のおかげで すぐに大学病院へ転院することが出来た。
あの時の父は 「なんとしても娘を救わなければ」という思いで いっぱいだった。
小学校4年の時 お風呂場で転んで 尾てい骨のあたりをガス栓で ざっくり切り
大怪我をし 病院に運ばれて・・・治療台の上にいる私の手を握って
 「大丈夫だから・・・」と言っていた あの時と同じ顔だった。
母は 最初から気丈にふるまってくれていたが
家では 泣いていたようで・・・・・・ホントに ごめんね・・・・



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告白しよう パート1

あさって いよいよ手術・・・hospital
初めて受ける手術なので ドキドキだwobbly
なんとも思ってないように感じてたけど さすがの私も・・・食欲がなくなってきて
痩せたようだ。何年かぶりに デニムパンツdenimを買いに行ったのだが
サイズが・・・29インチsign01 これは 私にとって すごいことなのだsign03
レディースが小さすぎて メンズのデニムパンツを買っていたのに
レディースの29インチなんて・・・しんじられなぁぁいhappy02
4年?近くこのブログをやっていて 初登場ですが・・・
15歳の真ん中の娘と同じサイズなのだ。
   「ママと一緒なんて・・・ショック・・・」
どういう意味じゃあぁぁぁぁぁpout 母は 痩せたじゃん!!
だけど いい痩せ方ではないけどね・・・

このブログで 病気について書こうか どうか とても悩んだ・・・
自分が 病気について ずっと考え込んでしまうのではないかと思ったし
暗くなってしまうとも 思ったからだ。
「闘病日記」にも したくなかったのもあるかな・・・
「闘病」の方法は いろいろある。
病気について 勉強して 治療方法を記録して・・・・・
私は 病気について 考えないことにした。
あ・・・私の病気は     「乳ガン」です。
ガンなのに 考えないことにしたというのは おかしいと思われるかもしれないけど・・・
なぜ ガンになったのかという事は 考えたけど・・・・
まわりで 支えてくれた あみちゃんや ごまちゃん 妹・・・の方が
私の病気について 詳しくなっているに違いないです(笑)
病気を告知されて あみちゃんとごまちゃんに伝えたとき 自分のことにように
ショックを受けたようで 申し訳なかったなぁ(泣)
あみちゃんは 電話して 2時間後には 病室に来てくれていた・・・
私の手を握って 「絶対治るからねsign01」と 一緒に泣いてくれた・・・・
その あみちゃんの誕生日が明日・・・birthday
きっと 手術も成功だねgood

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